第一次世界大戦

1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。

ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。

第二次世界大戦が勃発する以前は、世界大戦争(World War)と呼ばれていた。あるいは大戦争(Great War)、諸国民の戦争(War of the Nations)、欧州大戦(War in Europe)とも呼ばれていた。当初には諸戦争を終わらせる戦争(War to end wars)という表現もあった。

 

当時のヨーロッパ列強は複雑な同盟・対立関係の中にあった。列強の参謀本部は敵国の侵略に備え、総動員を含む戦争計画を立案していた。1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に、各国の軍部は総動員を発令した。各国政府および君主は開戦を避けるため力を尽くしたが、戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、瞬く間に世界大戦へと発展したとされる[2]

各国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。多くの人々は戦争が早期に(「クリスマスまでには」)終結すると楽観していた。しかし、機関銃の組織的運用等により防御側優位の状況が生じ、弾幕を避けるために塹壕を掘りながら戦いを進める「塹壕戦」が主流となったため戦線は膠着し、戦争は長期化した。この結果、大戦参加国は国民経済を総動員する国家総力戦を強いられることとなり、それまでの常識をはるかに超える物的・人的被害がもたらされた。

 

セルビア政府←オーストリア・ハンガリー帝国←ロシア←ドイツ→フランス、ドイツ←イギリス・日本(日英同盟)

 

戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定されている。国別の戦死者はドイツ177万人、オーストリア120万人、イギリス91万人、フランス136万人、ロシア170万人、イタリア65万人、セルビア37万人、アメリカ13万人に及んだ。またこの戦争によって、当時流行していたスペインかぜが船舶を伝い伝染して世界的に猛威をふるい、戦没者を上回る数の病没者を出した。帰還兵の中には、塹壕戦の長期化で一瞬で手足や命を奪われる恐怖に晒され続けた結果、「シェルショック」(後のPTSDと呼ばれる症状)にかかる者もいた。

 

両軍はフランス北東部に塹壕を構築し持久戦へと移行した。両軍が築き始めた塹壕線は、やがてスイス国境からベルギーのフラマン海岸まで続く線として繋がった。いわゆる「海へのレース」である。

 

(ロシア革命)戦争が長期化するにつれて、ロシア政府の戦争指導に対し、兵士と民衆の不満が増大した。皇帝ニコライ2世は積極的に前線を視察したが内政不安についての現状認識が欠けたままであり、皇后アレクサンドラは政治を怪僧グリゴリー・ラスプーチンに一任したため、更に無能だった。こうして各方面から抗議が巻き起こり、1916年末に保守的な貴族によりラスプーチンが暗殺される事態に至る。

 

1919年にパリ講和会議が始まる。ドイツでは皇帝家であるホーエンツォレルン家を始めすべての王侯貴族が追放された。またヴェルサイユ条約により巨額の賠償金を課せられ、その支払いをめぐってフランスがルール地方を占領したため、戦時中から続いていたインフレーションが激化し、国民の不満が高まった。さらに、条約によりドイツ人が居住する領土を割譲させられたことで、ズデーテン問題や、ポーランド回廊問題が発生した。これらの問題は、ナチスが政権を握り、第二次世界大戦へと突入していく原因となった。

 

第一次世界大戦による災厄の巨大さを目の当たりにしたことで、国際社会では厭戦感が広がることとなった。戦後の国際関係においては平和協調が図られ1920年にウィルソン大統領の提唱により人類史上初の国際平和機構である国際連盟が設立された。これら国際平和のためのさまざまな努力もむなしく、第一次世界大戦の原因と結果をめぐる多くの戦後処理の失敗と、世界恐慌による経済危機により、共産主義がさらに勢力を得て、それに伴いイタリアではファシズムが、ドイツではナチズムが台頭する。

 

ヴェルサイユ条約成立後、「これは平和などではない。たかが20年の停戦だ」とフェルディナン・フォッシュが宣言していた事は有名である。

 

いわゆる帝国主義の時代において、列強間の競争が激化していくと、後発的に国家を形成させて富国強兵殖産興業を図った国家では、自由主義的な運動とナショナリズムが結合するという経験を欠いたまま、国民統合が進められることになった。そのため、例えばドイツにおいては、国内のマイノリティ(カトリック・社会主義者)などを抑圧することでマジョリティをまとめあげるような反・自由主義的(=権威主義的)な国民統合が進められるようになった。また、各国では公教育が導入され、識字率の向上や標準語の定着を通じて、政府が均質な国民を創出していくことに尽力した。加えて、当時の西欧・中欧では工業化の進展の中で、社会・労働問題も深刻化しており、高揚する国際的な社会主義運動(インターナショナルなど)に対抗していくためにも、各国政府は国内の社会・労働問題に積極的に対処し、社会政策の拡充などを通じて労働者を国家につなぎとめようとした。このため、国民と政府とのつながりは一層強固になっていった。

東欧世界では、オーストリア帝国ロシア帝国オスマン帝国などの束縛から主にスラヴ系民族が解放を求めていた。この中で、弱体化の進むオスマン帝国からは諸民族の独立が徐々に進んだが、多くの小国がナショナリズムに駆られて独立したことで、戦争が頻発したほか列強間の世界戦略にも翻弄される結果となった。こうしてバルカン半島に集約された対立は、第一次世界大戦を引き起こすことになった。第一次世界大戦は、国家同士の衝突であり、総力戦としての性格を有した。戦争維持のために各国においてナショナリズムが鼓舞され、国民(ネイション)と政府(ステイト)はより一体化していった

 

ベネディクト・アンダーソンの主著『想像の共同体』は「新しい古典」とも言われ、ナショナリズム論に関する必読書の一つとなっている。書名にもなっている「想像の共同体」とはネイション自体を指す。ネイションは言語、文化、遺伝的近親性(人種)などを共通項として形成されるとされるが、ネイション内にも文化的差違は存在するし、全成員が血で結ばれているネイションはほとんど存在しないなど、いずれも決定的な要因ではない。むしろ実際に血がつながっているかということなどは問題ではなく、これらの要素を共有していると想像し、成員が「共同幻想」を共有することによってネイションは成立しているとされる。すなわちネイションとは「心に描かれた想像の政治的共同体である」。アンダーソンは前近代の小さく同質性の高い共同体が「想像の共同体」であるネイションに拡張された要因を出版資本主義の発展に求め、ネイションの公用語たる世俗語による新聞が「想像の共同体」形成に大きく寄与したとする。このようにネイションの形成過程の考察にかんして事実上の標準に近い位置にあるアンダーソンであるが、最近ではグローバリゼーションに対応したナショナリズムである「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」という概念を提示している

 

(wiki参照)

 

私見:この戦争は極めて民主主義的な思想にもとづいた戦争だと考えられる。以前の戦争だと、一部の政治家や貴族だけの政争だったが、国家を作るのが国民の権利(選挙権など)であるとするならば

またその国を守るのも国民の義務(徴兵制)と考えるのが普通である。ということは、各国がその思想にもとづいているわけだから、国民レベルでの大規模な衝突とならざるを得ない。それが長期化する原因である。

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