シュビッタース『メルツバウ』

ドイツ人美術家クルト・シュビッタース(Kurt Schwitters, 1887-1948)によって起こされた、ダダに付随する芸術運動。1920年代にドイツのハノーファーより発生した。彼が手がけた立体建築的な作品は日本語では「メルツ建築」とも言う。

 

1920年代を通じ、彼は造形した建築的に規模の大きな構成作品を「メルツバウ」(Merzbau)と名付けた。コラージュと並行し、シュヴィッタースは建物の内装を劇的に変える作品制作も生涯を通じて行った。ハノーファーのワルドハウゼン通り5番地の6部屋以上あった自宅を改造する「メルツバウ」は特に有名である。1923年頃に始まったメルツバウ制作は非常にゆっくりと行われた。ナチス・ドイツにより破壊を受け、作品は現存しないが、残された写真では巨大な立体構成が見える。一部の作品は1980年代に再現されたが大聖堂を思わせる列柱は空間からキュビズム的にせり出し、根本的に新しい空間を示している。

 

彼は自らの芸術作品を「メルツ(Merz)」という意味のない言葉で呼んだ。メルツの語源は「コメルツバンク」(Kommerzbank)という銀行の名から。

 

クルト・シュビッタースはナチスの圧力から逃れ、ノルウェーに移り次のメルツバウを制作したが、程なくドイツ軍がノルウェーへ侵攻し、その構成作品をやむなく放棄せねばならなくなった。メルツバウ作品を制作し続ける為、彼は更にイギリスへ渡るが、最後の大作は未完に終わる。

 

シュビッタース「戦争で物事はひどい混乱に陥った。アカデミーで習ったことは役に立たなくなったように思え、役に立つ新たな考えはまだ準備されていなかった…すべては崩壊し、その破片の中から新しいものが生まれてこなければならなかった。この破片が「メルツ」だ。破片をもとあった姿でなく、そうであるべきだった姿へと変えることは、私の中の革命のようであった。」

 

シュヴィッタースの回顧展を訪れたロバート・ラウシェンバーグは、展覧会を見た後「彼は僕のために全部作ってくれた気がする」とも述べており[5]、これらから直接の影響を受けたとも見られている)。

 

 彼は生涯にわたり「メルツ」という言葉を使い続けた。「メルツ」と呼ばれる彼の作品には、切符や印刷物や針金といったファウンド・オブジェを使ったコラージュからなる絵画(メルツ絵画)が多かった一方、アーティストブック、彫刻、音響詩、さらに後年「インスタレーション」と呼ばれる空間を使った芸術も彼は「メルツ」と呼んだ。

 

(wiki参照)

 

集積ということ自体が意味をもつ新しい表現の形式。アートシェアとの関連性を考える。集積を共有に言い換える。共有を目的とした緩やかな関係をつくる流動的な集まり。

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