バラック装飾社

リンク:村山知義「マヴォ」 、今和次郎「考現学」

関東大震災後には、市街地建築物法(現在の建築基準法)の規定に従った建築を行っていては住居の供給が間に合わないため、特別立法(いわゆるバラック令)により基準を満たさない建築物でも建てることが認められた。これらの多くは、小規模な住居・店舗だったが、中には築地小劇場のような比較的大きなものも建造された。こうした中で今和次郎らが「バラック装飾社」を設立し、商店などのバラック建築をにぎやかにデザインして街を彩った。

 

「今度の災害に際して、在来から特別な主張を持っている私達は、因習からはなれた美しい建物の為に、街頭に働く事を申し合わせました。バラック時代の東京、それが私達の芸術の私見を受けるいい機会だと信じます。」

 

「私は市民社会―その場合ブルジョア階級、今日の言葉でいえばレジャー階級―その工芸というものに身を入れる心情にはなれなかった。(…)とにかく明治末年に私は工芸図案を学んでニヒルにおちたのだ。(…)とにかく私のニヒルの気分が、震災後のバラック装飾社をやらせたのだし、また、考現学だって、ニヒルの気分からやりはじめたものにほかならない」

 

今は震災後の東京における復興過程の民俗学者の視点から観察、記録のフィールドワークを行っていたが、観察を続けているうちに自らが表現者として復興そのものに関わっていく。観察者から表現者への移行。あるいはその連続性。観察(鑑賞)することとはそのまま表現へと結びついていく。

 

村山知義「今迄建築は工芸美術として扱われていましたが、私の意識的構成主義ではこれも純美術としてみられるのです、だからバラックとは限らず永久的の建築物も設計するのです、私達も画室から市へ出なければならない時であると思ってこの仕事を始めたのです。然し従来の建築ではなかなか取り付きようもなかったのですが、この地震で私達の作品を実際に見せる機会が作られたのです。」

 

 

 

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