第9回RC:Dialogue【美読会//クレメント・グリーンバーグを読む】

 

 

今回はグリーンバーグの論文「アヴァンギャルドとキッチュ」と

「モダニズムの絵画」を読みます。
美術を理解する上で欠かすことのできない基本中の基本です。
当たり前すぎてすでに知っているという方もいるかとは思いますが、
「初心忘るべからず」ということを美読会で取り上げました。
この論文に対しては表面的な理解だけでなく、
みなさんとできるだけ深く掘り下げて読み込みたいと思います。


RC:Dialogue代表 杉村順


●日時:2014年8月31日(日)16:00~21:00   
16:00 【美読会//クレメント・グリーンバーグを読む】
18:00 【綾乃の楽しい食事会】
21:00  たぶん終了

 

●場所:大阪市西区阿波座周辺(参加者のみ詳細を通知)


●参加費:¥1,000円(要予約、定員10名、勉強会のみの参加は無料)
 
●条件
【美読会】:参加者全員に感想を聞きたいと思いますので、ある程度考えてください。

【食事会】:お酒を飲む人はお酒の持ち寄り(自分が飲むぐらいの量が目安)
 
●運営メンバー:杉村順、平川綾乃、下山由貴

 

●連絡先:rcdialogue☆gmail.com(☆を@に変えて連絡ください)

件名は「美読会参加希望」と書いて送ってください

【レジュメ1】

 

 

【アヴァンギャルドとキッチュ】

(グリーンバーグ30歳の時の論文)


●《問題提起:二つの文化の対比》p2~

1.アヴァンギャルド⇒「T・S・エリオットの詩」「ブラックの絵画」

(エリオットは伝統的な詩の形式や韻律を打破し、定型に縛られない口語自由詩を生み出したモダニズムの詩人として広く認められている。)

「四月は最も残酷な月、リラの花を/凍土の中から目覚めさせ、記憶と/欲望をないまぜにし、春の雨で/生気のない根をふるい立たせる。」「荒地」

2.キッチュ⇒「ティン・パン小路の歌(アメリカの大衆音楽業界の通称)」「サタデー・イヴニング・ポスト誌の表紙絵(ノーマン・ロックウェル)画像参照」

☆グリーンバーグ「このような不一致が単一の文化的伝統の枠内にあるのか!」それを「精緻で創意に富む考察」する必要があると言う。


●《アレキサンドリアニズムな社会》p3~

(〔独〕アレクサンドリニズム/アレクサンドリア主義:アレクサンドリア学派に由来するが、転じて、凝りすぎた煩瑣な思考手続き。ローマ共和政末期=ギリシア文化の模倣でしかない享楽的なローマ文化)

【グリーンバーグによる西欧社会の現状分析】
1.作家と観衆とのディスコミュニケーション
2.すべての真理(宗教、伝統など)への疑問

アレクサンドリアニズム(ローマ共和政末期)と同じだ!(グリーンバーグ)

【特徴】
・小さな形式的な細部の技巧に堕する(マニエリスム)
・大きな問題は先例に従う(アカデミシズム)
・新しいものは作られない(非歴史性)

☆「そういった社会状況に潔しとしないものがいる。それが西洋ブルジョワ社会の一部であるアヴァンギャルド文化だ!」と高らかに宣言する(グリーンバーグ)


●《アヴァンギャルドなボヘミアンたち》p4~

(ボヘミヤン:19世紀のフランスで定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向けた者で、伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者。どちらかといえば否定的な意味で使われる。河原乞食。)

葛城ユキ「ボヤミアン」
https://www.youtube.com/watch?v=XDt0bKobAxM
(まさにキッチュって感じの歌ですw)

最初はノンポリだったボヘミアン。

社会に対する攻撃(批判)する者への変化
社会から離脱することによって「ブルジョワ政治(ヒトラー)」と「革命政治(スターリン)」を批判する。

【ボヘミアンの存在価値】
・正常な社会⇒異端者
・異常な社会⇒批判者

☆だからアヴァンギャルドを「象牙の塔」だと咎(とが)めるのは鈍感で、不誠実だ!(グリーンバーグ)

●《芸術の自己目的化・絶対への探求》p5~

【過去の芸術からの変化】
・社会から距離をとることで、今まで依存してきた信条(宗教、経済、政治)を拒否する。

・アヴァンギャルドは「芸術のための芸術」を求めるようになる。
(「主題とか内容は何か悪疫のように回避される」「芸術や文学そのものの規律と過程が模倣の対象とする」⇒それが「抽象」の起源)

【制作するミディアム(空間、表面、形体、色彩)に眼を向ける作家(メディウム・スペシフィシティ)】
例:ピカソ、ブラック、モンドリアン、ミロ、カンディンスキー、ブランクーシ、クレー、セザンヌ

【「純粋詩」からの影響】
(純粋詩とは)
・基本的には詩から詩以外の要素を排除する。
・情動や心に直接的に訴えてくる音楽的効果を狙う。
・フランスの詩人マラルメに始まり,マラルメ、ヴァレリーに受け継がれた。
・ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」という音楽説によりながら展開


【西洋における「音楽」の意味】
・「音楽はずっと抽象芸術であり、アヴァンギャルドの詩が模倣しようとした」(グリーンバーグ、論文の注にて言及)
・「音楽ほど外部そのものとは少しも関係のない芸術は他にはない(音楽は本来的に自己言及的に創造しているといえる)」
・ショーペンハウアー的ヒエラルキー(音楽→詩→絵画→彫刻→建築)
・ニーチェ
・ヴェルレーヌ『詩作』「なによりも音楽を」
・アポリネール『キュビスムの画家たち』「これからの絵画は、いままでの文学に対して音楽みたいなものだ」
・モンドリアン、カンディンスキー、クレーは絵画制作をコンポジション(作曲)と呼ぶ
・古代ギリシア時代から芸術(ムシケー)の対象とされる。
・中世の「アルテス・リベラーレス(自由学芸)」に音楽だけ入る。

☆しかし、「富裕な人々と教養ある人々が」アカデミシズムと商業主義が文化に侵食することによって減少しつつある。それはアヴァンギャルドの危機だ!(グリーンバーグ)

●《敵(キッチュ)を見極める!》p9~

【キッチュ(リアガード)】
例:商業芸術、着色活版図を掲載した文学、雑誌の表紙、挿絵、広告、てかてかした低俗な読み物、漫画、大衆音楽、タップダンス、ハリウッド映画など


【キッチュの特徴】
・工業化された西洋に出現した文化現象(複製技術芸術)
・万人共通の教育を確率した産業革命の産物
・気晴らし、暇つぶしに飢えている人々のために用意された代用文化
・芸術と非芸術(生活)の境界線を取り払う(すべては貨幣価値に還元される商品)

☆教養を持つに値する人間でない無知な人間による文化⇒市民の大衆化が引き起こす


【キッチュを求める大衆が誕生したときの社会状況】
・通信手段の発達(電信、電話、19世紀)
・運河・道路・鉄道による口中の整備・拡張(18-19世紀)
・大量生産を行う社会・経済・経営の成立(18-20世紀)
・ヨーロッパにおける急激な人口増加による都市化(19世紀)
・工場労働者の生活水準・所得水準の上昇(19-20世紀)
・マスメディアの発達(19-20世紀)
・ナショナリズムの台頭(19世紀)

【関連書籍】
・ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』1895年
「集団的精神のなかに入り込めば、人々の知能、従って彼らの個性は消えうせる。異質的なものが同質的なもののなかに埋没してしまう。そして無意識的性質が支配的になる」

・マックス・ノルダウ『頽廃論』1892年
「退廃者は必ずしも犯罪者、娼婦、無政府主義者、狂人とは限らず、芸術家であることも少なくない」
近代芸術を身体的・精神的な病気の表れである「退廃」だと論じる


・ジークムント・フロイト『夢判断』1900年
「抑圧されている欲望(リビドー)が夢となって現れてきている」

・オルテガ『大衆の反逆』1930年
「ことの善し悪しはともかく、今日のヨーロッパの社会生活において最も重要な一つの事実がある。それは、大衆が完全な社会的権力の座に上ったことである。大衆はその本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、いわんや社会を支配するなどおよびもつかないことである。したがってこの事実は、ヨーロッパが今や民族、国家、文化の直面しうる最大の危機に見舞われていることを意味している」



●《政治とキッチュ》p21~

(ヒトラーのナチズムとスターリンの社会主義の登場)

・全体主義国家がキッチュは大衆を扇動するためのプロパガンダとして利用(ポピュリズム)
例:ドイツ、イタリア、ロシア、日本?
・アヴァンギャルドが全体主義者に利用されないのは、その批判性にあるのではなく、大衆の人気のなさに原因がある。


(ポピュリズム:一般大衆の利益や権利、願望を考慮して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことである。古代ローマでは「populus」は「ローマ市民権を持つ者」の意味であったが、ポピュリスト達は「民衆派(大衆派)」とも呼ばれる事実上の党派となり、元老院を回避するために民衆に直接訴えて市民集会で投票を呼びかけた)


☆「マルクスを一語一語引用する必要がある」「社会主義に対しては全ての生きた文化の保存を期待するのみである」と消極的な結論で終わるグリーンバーグ (´・ω・`)

【レジュメ2】


【モダニズムの絵画】1965年(グリーンバーグ56歳)

●西洋文明は自己自身の基盤を顧みて問い直したことを最も突き詰めた文明である。
批判の方法それ自体を批判した最初の人物⇒カント(18世紀の近代哲学者)

【カント的方法論】
・批判哲学⇒クリティーク(切り分ける)。確実なものと不確実なものを切り分け、純粋に理性だけを取り出す作業。理性の外部である「物自体」は人間において認識できず、その現象だけを感性として受け取り悟性によって判断することで人間に経験がもたらされる。(超越的哲学から超越論的哲学への「コペルニクス的転回」)

・趣味判断⇒趣味(テイスト、味覚)。味(美)は概念的に定義することはできない。人が何かを美しいと判定するとき、何らかの利害関係や意図が存在するわけではなく、ただそれ自身の性質ゆえに美しいと判定される(目的なき合目的性)。それは人間における判断であり、「美的判断はある種の普遍性をもつ」ということが言える。

●19世紀には、カント的自己批判は哲学以外でも求められるようになる。

・宗教⇒啓蒙運動によって否定され、心理療法に同化する(セラピー、癒し、娯楽)。
(しかしカントにおいて、神・不死の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち最高善)の実現の条件として要請されるのであって否定はされていない。)

・芸術⇒「他のいかなる活動からも得られないことを実証」できたために、啓蒙運動によって否定されずにすんだ。

・芸術における自己批判の企て

p64「各々の芸術の権能にとって~」

絵画独自のミディアムとは「平面的な表面、支持体の形体、顔料の特性」である。

●芸術における自己批判の歴史的過程

古大家⇒メディアムは隠蔽すべき消極的な要因

マネ⇒表面を素直に宣言。最初のモダニスト。

印象主義⇒現実の絵具でできているという現実を否定しない。

セザンヌ⇒キャンバスの矩形の形体に合わせる

キュビスム⇒

(モダニズム絵画によって捨象されるの「再現的なもの(三次元性)」は彫刻の本分である。

p65「しかしながら、絵画芸術が~」

☆自己批判の結果、モダニズム絵画は他の芸術と分ち合っていない唯一の条件である「平明性」へと向かった。それは抽象的なものにする。

●古大家による弁証法的緊張

【ドローイングと色彩の問題】

フラゴナールに対抗した18世紀のダヴィッドは彫刻的な絵画を復活させたにも拘らず、その強さは色彩に在る。弟子のアングルは、平面的で最も非彫刻的な絵画を制作した。


ジャン・オノレ・フラゴナール
http://www.salvastyle.com/menu_rococo/fragonard.html

ジャック=ルイ・ダヴィッド
http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david.html


ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル
http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/ingres.html

【西洋における二元論的思考】

・アリストテレスの場合
「形相」(エイドス)と「質料」(ヒュレー)
「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体、質料)の形相であらねばならぬ」

・ルネサンスの芸術理論家レオン・バティスタ・アルベルティの場合
『絵画論』1436
「絵画は輪郭と構図と採光とで構成される。立派な輪郭が描かれていなければ、どんな構図も採光も賞賛され得ない。」(輪郭(デッサン)優位論)

・ジョルジュ・ヴァザーリの場合
『画家・彫刻家・建築家列伝』1550
絵画、彫刻、建築に共通するのは「ディゼーニョの術」である。(輪郭(デッサン)優位論)

・フィレンツェ派VSヴェネツィア派

遠近法や解剖学を駆使して造形的で現実感のある合理的な絵画を創始。線的な絵画。
代表:ラファエッロ

画面を色を使って構築し、流動的で詩的な雰囲気で人間の感覚に直接訴えかける効果を追求した。色彩の絵画。代表:ティツィアーノ

・17世紀のフランス
「プッサン派(線)」VS「ルーベンス派(色)」

・美術史家のヴェルフリンの場合『美術史の基礎概念』1915
「クラシック(線的)」VS「バロック(絵画的)」

(1)線的なものと絵画的なもの
(2)平面と深奥
(3)閉じられた形式と開かれた形式
(4)多数性と統一性
(5)明瞭性と不明瞭性


様式史的な方法論の確立を目指した書物であり、美術におけるフォーマリズム(形式主義)的分析の発信源のひとつとなった。線的/絵画的、平面/深奥、閉じられた形式/開かれた形式、多数性/統一性、明瞭性/非明瞭性の五つの対概念を軸に、美術史の視覚的な深層としての「様式」概念を普及させた、様式論の基礎文献である。いずれも前者が盛期ルネサンス様式に、後者がバロック様式に対応する。(アートスケープ)


☆グリーンバーグは「キュビスム⇒クラシック」「抽象表現主義⇒バロック」とする。

●平面性とは平面(キャンバス)になることではない!

「モダニズムは、絵画が絵画であることをやめて任意の物体になってしまう手前ぎりぎりまで際限なくこれらの制限的条件を押し退け得ることに気づいていた」p69

「モダニズムの絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない。絵画平面における感性の高まりは、彫刻的なイリュージョンもトロンプルイユももはや許容しないかもしれないが、視覚的なイリュージョンは許容するし許容しなければならない。」p69

・例えば分析的キュビスムのイリュージョン
(ピカソ『カーンワイラーの肖像』)
http://artprogramkt.blog91.fc2.com/blog-entry-68.html
1.目に映るものを小さな断片的小平面に分割する
2.断片のすべてを画布に対してほぼ平行に沈める
3.主題の事物とは無関係に、各々独立した一単位の平面として陰影をつける。
4.陰影は触覚的三次元性を再現するのではなく、画布の背後で各平面が浮いたように見せる。
5.キャンバスの平面と小断片の平面の間こそ「絵画的」イリュージョンといえる。
5.そのままポロックなどの抽象表現主義に引き継がれる。

●グリーンバーグにおける平面性(抽象芸術)に対する考え方の変化(イリュージョンの復権)

・40年代は抽象美術こそ現代美術が向かうべき唯一の道である。
「絵 画を、色と線の純粋で単純な配置に限定させよ。そして、他所でより確実に経験できる物事を連想させることによって我々の気を引こうとさせないようにせよ。 画家は、イリュージョンをもてあそび続けてもよいが、風刺のためだけにとどめよ。」(『抽象芸術』1944)
(イリュージョンの否定、過去の絵画との断絶を強調)

・50年代抽象と具象の問題を扱った文章が格段に増えてくる。
「自らをひたすらその表面と同一化するような類の絵画は装飾へと発展せざるを得ないのであり、その表現可能性は或る程度狭まらずにいない。」(『新しい彫刻』1949)
(ポロックとデ・クーニングが具象イメージを復活させる。伝統の引き継ぎを強調)

「どちらの陣営(具象主義者と抽象主義者)も同じ理由で間違っている。芸術において常に重要なのは、良いか悪いかということである。他の事は全て二次的なものである。再現性それ自体が、絵や彫像の美的価値を付け加えたり減じたりすることを証明した者はまだいないのである。


視覚的イリュージョンの概念は、芸術作品から、それを見る観者のほうへと問題系を移行させる。













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